大雄山−明神ヶ岳索道(仮名)/解明編その3


地元の記録と言えば広報誌。「広報みなみあしがら」のバックナンバーを漁る

昭和40年代・・・昭和・・・あれ?昭和47年より前のが無い!!
なんという事か、広報誌は昭和47年からなのか(ソンナバカナ)

司書さんに聞こうか悩んでて思い出した。東箱根大雄山温泉のデータに南足柄町とあった・・・
あ、南足柄市は昭和47年以前、南足柄町だっけ

という訳で南足柄町の広報誌「町のひかり」を漁る

とりあえず、新しい号から古い号へ。年代を逆に辿った。ドコから見て良いのか判らんのだ

昭和42年(1967年)01月10日
南足柄町町長/石井与惣太、年始の挨拶の中に
東箱根観光開発(明神、金時、足柄)を進めてるハナシが載ってる!!

町を上げての事業だったのか
高度成長期終わりのこの時期、あちこちで観光開発が盛んに行われていた
南足柄町の東箱根開発も、その中のひとつだった

そして昭和40年(1965年)の記事に求めていたものを発見

明神ヶ岳中腹で温泉試掘を行っている東箱根観光開発株式会社が、
道了尊境内大慈院平から水の下地域間、1800メートルへ
ロープウェイの建設を始めようとしている
・・・
陸運局の許可も得、今夏には営業を開始する計画
・・・
ロープウェイの資材を運搬する仮設索道の資材がヘリコプターで運ばれた
(2月8日付の資材を運ぶヘリコの写真が掲載)

ついに、ついに何が行われたのか判明した!!

東箱根開発事業にて、明神ヶ岳中腹に観光施設を作る計画があった
温泉設備の整った展望豊かなレジャーセンター
交通手段として麓からロープウェイ

そのロープウェイの資材運搬の為に貨物索道が作られた

昭和40年の夏に営業開始できなかったのは、温泉が出なかったからか?
温泉と呼べない鉱泉が出て温地研の試験が行われたのは昭和42年4月
この間工事が一時中止されていた可能性は大きい

温泉掘削に実質成功しなかった為か、オイルショックなんて事もあった
他に原因があったのか・・・事業は中止

ロープウェイの距離が1800メートルと、山頂付近では無いのが気になるトコ
大慈院平がどの辺か判らないが、境内から1800メートルというと、下部軌道上駅の付近となる
そこら辺に施設を造る予定だったのだろうか
温泉を引くための設備を建設する為に、上部軌道が用意されたのか
この設備&ロープウェイ計画も、なかなか興味をかき立てられる


謎は大体全て解けた   糸冬   了


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