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赤−踏破ルート(抜粋)/濃い目部分−古街道部分/灰色−石垣、枡/オレンジ−崩落部
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谷ヶ御関所道−瀬戸〜谷峨編/探索日 2009年01月某日
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JRの法面に登り口があります
登り口も法面化されてます
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植林されてるので、
街道がそのまま管理道になってます
取り付きは結構急登
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露岩な所に掘割されてて、
結構手間が掛かってる
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この幅で道を作るのは
なかなか大変だったと思います
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見下ろすと酒匂川の水面
この辺ではまだ高さが無いので、
あまり危険な感じはしませんが
足を踏み外さないよう注意が必要です
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不明瞭で、街道なんだが管理道なんだか
判らなくなる部分もあります
ただ、何十年も歩かれた道というのは、
かなりの堅さになるので、なんとなく判る
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国道246号線トンネル抗門の上を行きます
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崩れてる所に同軸ケーブルが張ってある
補助ロープの替わりでしょうが、なんで同軸?
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その後も崩落箇所があります
管理道としては、通れれば良いレベルの
補修しかされてません
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石積の人工物があります
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蓋があるので、水を溜める枡のようです
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奥にもう一つ
沢の水を引いて溜めて瀬戸集落まで引いて
簡易水道として使われてた物かと思います
現在は、もっと上に水道施設があります
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その沢には、渡る為に石垣が組まれてました
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簡易水道の管理道ならここで終わりですが、
その先も道があります
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しかし、その先の斜面は
植林の為か道を辿るのが難しい
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街道跡という確証が無いまま
管理道を進みます
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若干、それらしい部分もあります
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とんでも無い山中を彷徨ってるように見えても
川の対岸には鉄道・国道・県道があるので賑やかです
トラックが煩いくらい
しかし、川のこちら側では現在歩いている道が
唯一なので、気が抜けません
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先を見れば植林化されて無い斜面
街道跡が残ってる可能性大です
しかし結構な急斜面
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崩落が道を狭める
谷筋に入って行きます
国土地図では、崖記号があるんですが・・・
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ものの見事に崩落跡
管理道も行方不明です
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こちら側斜面を調べると石垣
沢筋を渡る為に組まれてたものと思われます
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しかし、対岸を見れど続きが判らない
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沢筋を見下ろすと結構な勾配でずっと下まで・・・
若い潅木があるだけで、
手掛かりが不足してます
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仕方ないので、持ってきた補助ロープで慎重に下ります
山登りの基本として、
道の無い所で沢筋に下りるのは大変危険です
対岸を登れると自信があるので降りてますし、
補助ロープの準備もあります(過信しても危ないですが)
登れなかったら遭難の可能性大です
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沢筋を横切り対岸を登ると石垣が現れました
この間写真が無いのは、
撮れる状況では無かったからです
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こちら側の石垣の上から対岸を見ます
向うの石垣がちょこっと見えます
この間、どんな風に道が続いていたのか想像すら難しい
途中は橋だったのでしょうか・・・
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さて、石垣の上には管理道に侵されて無い
街道跡が続いているのですが・・・
猛烈な薮です
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なんとか進むのですが、竹がぁ
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以前の寄を彷彿させる竹
漕げないし、乗ると滑るか崩壊するかで
蛇のようにすり抜けるしかありません
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斜面の上に管理道を発見したので逃げます
植林帯の際に管理道が続いています
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恐らく、一番元の状態で残っている部分ですが
通るのは一番難しい
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管理道を行きながら
恨めしそうに見ることしかできません
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再び沢筋で崩落です
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どこで沢を渡っていたか不明
ここは割と簡単に踏破できました
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対岸で再び街道跡を発見
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竹も少しおとなしくなったので、
街道跡を進みます
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石垣を発見
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法面なのか路肩なのかわかりませんが、
結構しっかり作られてます
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しかし、この先で街道跡を見失います
植林帯に管理道はあるのですが
自然林の中に街道跡が無いか探します
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暫く探しましたが行方知れず
露岩は礫岩のようで掴むとボロボロ崩れます
結構急勾配なので、諦めて植林帯に戻ります
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植林帯に戻りました
ひょっとしたら管理道が街道跡かも知れません
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この辺は確証がありません
殆どが若い木なので、、
一度斜面崩壊してしまった後かも知れません
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ふと見上げると岩の塊が
なんであんな所に木が生えてるんでしょ
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見下ろすと酒匂川の流れ
(写真白抜けしちゃってますが)
よくぞこんな急勾配に植林したものです
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管理道を進みます
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礫が多いので見上げると・・・
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巨大な露岩がそそり立っている
思わずあの上に登りたくなったのですが、
今回は街道探しなので、先に進みます
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植林帯を抜けると街道跡らしくなりました
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そこそこの幅があるので、
歩きやすいのですが・・・
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道端は、酒匂川が見えるヤバげな・・・
万一の場合は植林帯のように木に縋る事もできません
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この街道跡も、もう直ぐ終わりです
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対岸を見ると新旧の鞠子橋が見えます
鞠子橋付近から震災の谷が見通せるのです
まもなく震災の崩落箇所に入ります
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崩落箇所と言っても86年前ですから、
その跡が残っている訳ではありません
山の上から大量の土砂が崩れて谷を埋めたので
谷としては、逆になだらかになってます
事前に谷峨側から入って確認してます
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崩落のあった沢に降ります
(この辺周辺全てが崩れた場所ですが)
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ここが震災で大規模土砂崩れを起こした沢筋です
沢の上を見上げている
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沢筋を見下ろす
この下辺りで旧東海道線の2つの隧道間の
明かり区間が土砂で埋まりました
今では2つの隧道を繋げて通っています
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沢筋を越えて管理道を進みます
この区間の街道跡は存在しません
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沢の反対側斜面をかなりな急登で登ります
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登りきると、それらしい道になります
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振り返ると左が登ってきた管理道
直進して斜面を登る道があります
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その道を行くと街道跡っぽい掘割道
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稜線近くを登るので、かなり急ですが、
管理道とは違う感じです
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左側が崩落のあった斜面です
稜線を登ります
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しかし、この辺で普通の管理道になってしまいます
左に斜面をへつる道になる筈なのですが、
発見できませんでした
崩れて通行しなくなった道は
自然に帰ったのかも知れません
探索はこの跡ずっと管理道を進むのですが、
それはまた別の機会に・・・
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レポはそれらしい道に出たトコに戻ります
画像は6つ手前の続きとなります
いきなりですが、巨大な岩のあるトコに出ます
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2つの岩の間から木が生えている
岩が割れて木が生えたのか、
木が生えて岩が割れたのか・・・
石祠があります
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この岩は夫婦石と呼ばれるものです
石祠は山の神様
無事踏破の御礼と、帰路の安全をお祈り
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夫婦岩の裏側は林道の脇道です
チャリが出現してますが、
この写真はプレサーチの時のもの
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そこのガードレールに夫婦岩の案内が張ってあります
鹿子木というのは、他所の場合ですと
鹿の模様のような木らしいのですが、
何処にあるかは見つけられませんでした
いずれも地史等に記述が無い為、詳細は不明です
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林道を下ると直ぐに終点です
東名鳥手山トンネルの東側抗門の付近です
林道は畑沢から入れますが、
一般車両は通行禁止。鍵付きゲートがあります
脇に降りる道があります
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薮化してますが、
幅は十分にあります
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恐らく街道跡だと思います
下の県道の法面工事等が入ってますが、
人道としては立派過ぎる幅です
0.8車線位?(微妙な)
YahooやGoogleマップでは車道のように描かれてますが、
車両通行できる幅はありません |
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しかし自転車で走行するのはお勧めできません(笑)
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県道78号線、一休食堂の近くに出ます
ここから夫婦岩までは道もちゃんと存在するので、
お気軽に訪問できます
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道端には谷峨の道祖神
谷峨の集落までは県道で直ぐですが、
古街道の旅はこれにて終了です
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どう見ても探索というレベルを逸脱してます
道を見失って、ぱっと発見な事は無く、斜面を登ったり下ったりとかなりハードです
瀬戸側、谷峨側事前に調査、石積枡〜震災崩落沢間が初踏破ですが、2時間近くかかってます
崩落の踏破は補助ロープがあったから行きましたが、無ければ間違いなく引き返してました
実際、気力体力の消耗から、このルートを戻るのは無理と判断しました
県道を行けば良いものの、上の細道/林道を目指したのですが、
それはそれなりのアドベンチャーになってしまいました
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おかげで、瀬戸〜谷峨間のみのつもりが、
谷ヶ御関所道−平山〜瀬戸(新道?)編
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