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谷ヶ御関所道−瀬戸〜平山(古道)編/探索日 2009年01月某日


 

さて、いよいよ瀬戸から平山までの古道を辿る

しかし、当面は植林帯の管理道を行く
 
管理道で急勾配だと、階段状になったりするのだが、
ここはあくまで斜路という形態を取ってる

運搬用に小型特殊車両が入ってるようだ
(どんなのだろう?)
 
轍(わだち)では無く、小型無限軌道みたいな
フラットなトラックが残っている
 
この辺の植林地の幹線になってるようだ
 
その幹線から外れる
 
日差し零れる植林帯

それはそれで美しい
 
管理道をさらに分かれる

新道は道なりに来たが、古道へはさらに枝道に入る

ただし、この道はあくまで管理道なので、
本来の古道/新道分岐ではない
 
枝道なので、更に険道となる
 
植林地帯の管理道もいよいよ終わり
 
ここから古道となる
 
竹林の侵食で、狭道となってる

どこの山道でもそうだが、竹の侵食は早い
数年で道のど真ん中にポコポコ生える
 
ようやく古道幅が現れる
 
谷筋に入ってゆき、露岩を削り取ったような道

そこに道祖神がある(赤枠)
 
資料によると、天保11年(1840年)のもの

右側に「谷ヶ村」「平山村」
左側に「天保11年7月18日」
と刻まれてるらしい
 
資料写真と比べると随分ずんぐりしてる
周りの土を取ってみるとコレが全体像
ちゃんと手前に貢物を置く石もあった

この道祖神は、
ここに架かってた吊橋を加護するものらしい
 
道祖神の先に谷がある
 
こちら側から向こう側の石積橋台が見える
 
沢に下りてみると、こちら側にも石積されている

幅はおよそ3m位か
向こう側は崩れてるのか低くなってしまっている

この位の距離なら平橋で行けると思う
 
おそらく石積橋台−平橋は後の状態で、
以前はもっと手前から吊橋だったのだろう

地史などによれば、一番の難所だったそうだ
 
丸石で組まれた石積が、悠久の刻を物語る

谷峨で作られた炭を満載した馬が、
此処を渡って行ったのだ
 
暫し堪能した後、谷を抜ける
 
おそらく当時と然程変わらぬ道

江戸時代、このルートは谷峨などの地元民専用

関所で旅人の通行は禁止されていた
箱根の関所破りを防ぐ為である
 
それでも、地元の人にとっては唯一の道だった訳で、
吊橋をかけ、路肩には石積もされていた
 
明治迅速図をよくよく見ると、
川沿いの新道とは別に、実線でこの道も記載されていた
ルートは概ね正しいようだ
 
整備すれば立派なハイキングコースになりそう
 
立派な管理道にしておくのは勿体無い(笑
 
路肩の石垣は、やはり後の時代の物と思う
ちゃんと加工して積まれている
 
植林整備か、治山の為に組まれたものと思われる
 
この辺まで来ると山北町も一望できる
 
この辺から管理道色が強くなる
 
まもなく林道に出る
 
林道のヘアピンでは、地元の方が作業中
 
終わりそうなので、暫し待つ
狭い林道で煽られたら堪らない

終わったようで、
悪路をタイヤスモーク上げながら下って行った
 
林道を平山集落へ向かって下る
 
ヘアピンくねくねの先は基本的に舗装されている
しかし、土砂・落ち葉が堆積し、かなりズリズリしそうだ
 
古道もこのルートだと思われるので、
当時もかなりな九十九折だったのだろう
 
林道脇にお社発見
 
明王系かと思ったが、資料によると馬頭観音だそうだ

石仏自身はそんな詳しく無いので、資料で確認してます

ちなみに「山北の石造物/山北町教育委員会」
山北町役場隣の図書館でいつも調べてます
 
お社の反対側には道標があります
 
「左 山道」しか判別できなかったけど、
資料によると「右 谷ヶ道」と刻んであるらしい
 
林道を行くと眺めの良い場所

平山は右手前方面で、正面は山北です
 
林道はずっと林の中で、見通しの良い所は此処位かな
 
最後のヘアピン

この背後の下を新道が通っています
 
林道もまもなく終点
 
平山の水道施設(?)が見えてきました

新道へはあの裏から入って行きました

そういえば・・・林道ゲートなど無かったですね
フリーで入れる訳ですが、狭い林道ですし、
鉢合わせになったらすれ違え無い
酔狂で入ってくるのは問題アリかと思います
 


平山から林道経由で橋跡/道祖神までは、
危険な所とか迷い易い場所は無いので、お勧めです
古道を満喫できます

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