第一章[平安・鎌倉の街道]


探索日 2008年10月頃

ハイキングコースでもある古矢倉沢往還
今回は明治地図の街道をなるべく忠実にマッピングして踏破した
ただ、線形とかは若干違ってるし、通れないトコもあった
バイパスされた古街道とはどんな道だったのだろうか

Google マップ /青−明治地図から現道にルートマッピング、橙−走行不可なルート


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県道710号線、青看板の通り県道77号線へ向かう
頭上には東名高速が走ってる

古矢倉沢往還と新矢倉沢往還の分岐
(厳密に言えば、往還道はもうちょっと川側にあった)

この県道710号線は旧国道246号線
その前は旧県道1号線
そして東名と、街道の歴史ポイントみたいな所だ
 
県道77号線もカープ1つで脇道に入る
覗き込むとこんな道だが、
石垣の古さなど見ての通り
 
脇道左には神山神社

地名は「かみやま」
なのだが、神社は「こうやまじんじゃ」
というらしい
 
道路を挟んで反対側には御堂
 
県道を横切り、次の道は東名の下

東名脇に辛うじて登る道が作られてるが、
かつては東名のあるトコに道があったらしい
 
東名脇の道を登り、県道に出るが、
直ぐに向かいの道に入る
細い方は個人宅道みたいなので注意
 
入り口が結構立派なので安心してはいけない
直ぐにこのとおりとなる
 
この道は松田町道
農道扱い

似たレベルの県道もあるけどね(笑
 
直進は県道に出てしまうが、
道標の「富士見塚」方面へ左折する
 
風情ある立派な農道だ

この辺は林業やってないので、
農道として開かれた道では無く、
古街道から継承しているんだと思う
 
一般車両は県道に行ってしまうので、
通る車両は農作業車のみ

10月だというのに暖かい日差しで、汗だくです
 
農道から分かれる一筋の道

なんの道標も案内も無いが、
ダブルトラックだけ刻まれた未舗装道

ここに入ります
 
神奈川の古道50選に入ってる
矢倉沢往還富士見塚近くの道

幅1間(1.8m)。この位の道が街道の目安
 
ここからコンクリ舗装されてます

街道道のだいたいの感じはこんな風
新矢倉沢往還を探索するのに、
同じような道を歩いておきたかったのです
 
広い道に出ると、富士見塚
 
石碑や案内板もあります
 
富士山は見えませんでした
 
道標の通り篠窪に降りていきます

ここは丁度篠窪隧道の真上
 
ハイカーさんと遭遇
降りていく道が篠窪への道です
 
篠窪で県道にでます
 
三嶋神社
 
ハイカーさんは県道を行くようですが、
こちらの狭い道に入って行きます
 
幾ばくかの分岐があります
上の道の方が魅力的なのですが・・・
 
この辺は本当に農道です
ちょいとアップダウンが激しすぎる感じもする

ええと、ココを降りて行きます
ちょっと怖い(トンネルではありません)
地図を見て確認する程(笑
 
篠窪集落へ出ました
 
再び県道です

ここで先ほどのハイカーさんと遭遇
裏道を走り回る不審人物では無く、古道探索と説明
 
県道もちょいと走って早々に脇道へ
峠集落には向かわず、稜線を目指します
 
ココも農道ですが、そう言われれば古街道?
 
地図では、この辺までしか描かれてませんが、
上まで抜けられます
 
稜線道に出ました

チャリの後ろから上がってきた
このルートは案内無いし、現地図上では繋がってない
 
稜線道はハイキング道として整備されています
 
道標もこの通り
 
ただ、来た方向は何も書かれて無い
 
北側秦野の眺望が良い
 
再び道標
 
チャリの辺りが峠隧道真上です
 
そこから峠の集落が見えます
 
最初の四辻

左に渋沢方面の道標
Googleマップではこのルート載っていません
右は隧道上を縦断して峠集落へ降りる道
 
二番目の四辻

右は峠集落の向こう側へ降りて行く道
左、渋沢方面へ降りるのが古道

左への道が無いって?
 
辻脇にはこんな御堂が隠れてます
 
その脇、渋沢方面へ降りて行く道は、
廃道と化しているようです
 
突破はしんどそうなので、
震生湖方面へちょと行って分岐で渋沢へ降ります
 
廃道はこの辺に出てくる筈
うっ、判んね〜
 
左、上から降りてくる道
最初の四辻の道のようです
 
その道標

これ見て理解できる人は凄いです
やり直し!
 
道を下ると渋沢の町並み
 
頑強な車止めの外側には旧道の匂いが
 
ここは峠隧道渋沢口の直ぐ傍です
旧道は隧道拡幅工事で潰れた模様
 
ココにも小さい御堂があります
 
道なりで県道に出ました
 
ここから出てきました
 
県道708号線を渋沢駅方面へ

明治地図には、町中の道も描かれているのですが、
いかんせん残ってません
道路改良〜県道化で失われてしまったと思います
 
稲荷神社前交差点到着
 
國榮稲荷神社
 
大山道、矢倉沢往還の石碑があります
説明は江戸時代のハナシです
 
立派な道標もあります
ただ、昔からこの場所にあった訳では無い筈

ここへ来た道は「小田原みち」と呼ばれてました
(松田からのルートではごさいません)
 
オマケ

神社脇の公園でランチタイム

チャリ系のブログで豪華な食事を見る度に苦しくなります
私はメタボ対策も含まれてるので、
とてもライトな食事なのです
 


狭農道部分は、車一台がやっとの狭さです。通るなら地元車両を優先で願います
想定ルートは明治地図から独断で判断しました。正しいかどうかは保障しません


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新矢倉沢街道を逝く

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