御殿場線旧線−序章1/探索日 2009年12月〜2010年01月


御殿場線は、明治22年(1889年)東海道本線として開業。当初は単線であった
明治24年(1891年)、複線化され東海道物流の大動脈として活躍する

(昭和9年(1934年)、丹那トンネル開通により、主役の座を明け渡す事となる)

この区間は、函嶺越えと呼ばれた当時東海道本線最大の難所である


<<ことのはじまり すべてはここから始まった>>


土木学会編/大正12年関東大地震震害調査報告書

「国有鉄道 東海道線駿河足柄間第五相澤川橋梁
         東京方橋台の破壊(
前面のものは旧線跡の廃橋台 )」


関東大震災の被害報告書を読んでた私は、それこそひっくり返った!

第五相沢川橋梁に旧線の橋台があった!!

御殿場線は、チョコチョコ変更はあれど、
橋を架け替える程の径路変更があったなんて、聞いた事が無い

続いて本文中に水害の歴史的文章があり、その中で・・・



「本橋は始め単線として明示二十一年一月起工、同年九月竣工せるものなりしが、
明治二十四年二月複線工事成り、
その後明治三十六年冬及び同三十八年秋の二度に鉄桁及び橋台上部を補修せり。
降て大正四年一月乃至八月の間に於て、
駿河足柄間に於ける一部線路の変更に伴いて現在の位置に架換へたり。
尚大正六年十月暴風雨のため川床著しく洗掘せられたるを以て
橋台橋脚の根固め沈枠工を施したり。」


大正4年(1915年)1月から8月、
駿河(現在の駿河小山)−足柄間の一部線路の変更を行い、現在の位置になった


御殿場線は何度も水害の被害を受けている
殆どが元の線路を復旧したが、大正初期のこの被災は、そうはいかなかった

元の径路は復旧不可能な程のダメージを受け、新たに線路を引き直す事で、
ようやく運行を再開できたのである。8ヶ月の工期を要して


複線の片方の単線旧線では無い
この時代は東海道本線、複線運行である

すなわち、複線の線路が橋を架け替え、新たなルートに2km近く引き直されたのである
Web上はおろか、御殿場線の歴史の書籍でも読んだ事は無い

本レポートは、この旧線の事を明らかにするものである


御殿場線旧線−序章2


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