Googleマップ  赤−旧上り線跡、青−橋梁跡、灰−隧道/跡

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御殿場線−上り別線/探索日 2009年02月14日


 

大日本鉄道地誌(1910年、明治43年)より抜粋

丹那トンネルが開通する前、東海道線はココを通っていた

複線は並んで敷設されたが、駿河小山〜谷峨間の一部に
鮎沢川の左岸・右岸に別れていた部分があった

1943年(昭和18年)に単線化。右岸ルートが残された
左岸の鉄道跡は後の国道246号線工事で消滅

現在見る事ができる遺構を紹介する
 
国道246号線の諸渕トンネル山北側抗門前から
狭い道を降りてゆくと柏木踏切に出る
 
ここから御殿場方面を見ると、
並んでいた上下線が少しずつ開いているのが判る
 
踏切から山北方面を見ると現役の第3相沢川橋梁

(現在は鮎沢川という名称だが、昔、相沢川と呼んでいた)
 
国道246号線から

第3相沢川橋梁の手前に橋台が見える
旧上り線の鉄橋跡だ
 
旧線の橋台にジャンプ
山北側橋台脇

ルートは左側の第3相沢川橋梁から離れていく
 
現行線は、鉄橋を越えると右にカーブしつつ、
トンネルに入る
 
現行線が入って行ったのは、箱根第6号乙

箱根6号甲がその先にある
旧下り線の方が隧道一つ多い
 
旧上り線は、工場を突き抜ける
 
工場を突き抜けると、またもや橋台

第2相沢川橋梁跡
 
対岸にも橋台

橋台とともに石積の法面も当時の物かも知れない
 
右岸を進む現行線(旧下り線)と別れ、
旧上り線はここで左岸に渡る
 
右岸の現行線が箱根第5号隧道(下り線)に入る

左岸の旧上り線は、国道246号線の下に埋もれている
 
旧清水橋脇

ここから見える範疇に第6隧道(上り線)があったのだが、
国道工事で切り開かれてしまった
おそらく、巨大な法面となってる所

鮎沢川対岸の平地から、ここまで鉄橋があった

 
対岸に戻り、その平地から
鉄橋のあった先に第5号隧道(上り線)が見える
 
流石に2月だと旧清水橋から抗門が見える

9月の写真では、薮の中だった
 
箱根第5号隧道(上り線)御殿場側抗門

明治22年開通の姿と思われる
(関東大震災被害写真と見比べて)

若干埋まっている
 
内部はレンガ積み

50年以上使われたにしては綺麗
御殿場線が電化されたのは昭和43年なので、
旧上り線に架線は無い
 
第5号隧道を抜けると、上下線が再び並ぶ事となる
 



古い隧道なので内部に入るのは危険です
長い手を伸ばして撮影

旧上り線の隧道は、戦時中軍の資材置き場や放送施設などに使われたそうです


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