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青−構内線 赤−町道払い下げ部分


山北駅−避難線跡/探索日 2009年01月某日


 

大日本鉄道地誌 明治43年(1910年)抜粋

いつもの如く、古い資料を眺めてて「びっくらこいた」
御殿場線−山北駅に「ヒゲ!?」

Wikipediaにもあるが、山北駅には三菱瓦斯化学の専用線があった
ただ、それは昭和に入ってからだし、
殆ど構内線みたいなモンだった

それ以外に引込み線とか知らないゾ。コレは何?
線路の行き着く先に何も無いし、かなり斜面を登ってる
ありえねぇ〜と思いながら現地に飛んだ
 
山北町役場

かつて山北駅機関区だったが、
国鉄より払い下げられた場所に建ってる

構内の外れにあたる
 
振り向けば小さな変則交差点

正面向うに行くのが線路跡だ
 
この辺では普通の1.5車線幅
いやもちょいと狭いかな

順調に登ってる
既に鉄道では上がれないだろう
 
国道246号線をアンダーパスする

かなり無理して変則勾配にしてる

当然、国道246号線は後から作られた訳だが
 
アンダーパスの先は激坂

変則にした分を差し引いても、
十分「鉄道では上がれない」坂だ
 
そこを越えると緩やかになる

山北駅は旧皆瀬川の川底に作られてる
地形は河岸段丘になってる

(注.皆瀬川は人為的に流れを変えられた)
 
この辺がピークか・・・
先は緩やかな下り勾配

右にカーブしている
 
そして終了

数百メートルの距離で、
30メートル位の高さを上がった

勿論、上がった先には当時も今も何も無い
 
鉄道では登れないような勾配のある線路
答えは「鉄輪轟き一世紀/山北駅百年記念委員会」
に記録があった

左図は開業まもなくの明治30年山北駅構内配線図
当時は単線で構内から下に延びるのが避難線である

ブレーキの故障、切離されちゃった車両・・・など
暴走する列車を本線が下ったら、正面衝突で大惨事
そんな車両を逃がしてなんとかする為の線路だった訳です
無理な勾配というのは、速度を落とさせる為に
あえて付けられたもの
 
左図は複線化された後の明治40年山北駅構内配線図
もはや避難線は接続していません

ただ、避難線自身は昭和初期まで残ってたらしい
戦後、町道として払い下げられ、現在に至っている
 


御殿場線は、当初東海道本線として明治22年に開業
複線化されたのは明治34年である
その時に避難線として役目を終えたのであれば、僅か12年間

避難線として活躍したかは記録には無かった
複線化した後に、客車が連結切断し暴走、川音川に転落した事はあるそうです

その後、昭和9年に丹那トンネルが完成
御殿場線と名称が変わり、昭和18年には再び単線化


レポとしてはミニサイズだが、鉄道の避難線自身が珍しいと思うのでこちらに掲載
他にあるか探してみたけど、信越線に同様のモノがあったらしい

2009/01/11 追記.
避難線は「キャッチサイディング」という呼称もあるそうだ
奥羽本線、磐越西線、山陽本線とかにもあったらしい
それでも珍しいんではないかと思う


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