第二章[江戸・明治の街道]
探索日 2008年10月頃
昭和の始めに断絶されてしまった新矢倉沢街道
当時の道は残っているのか?
そこには何があるのか?
Google マップ /赤−明治地図から現道にマッピング、橙−通行不可なルート
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秦野市曲松、國榮稲荷神社にある道標 これにある通り「右ふじ山道」へと向かう |
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稲荷神社前交差点出発 ええ「古」の使い回しです |
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「古」で辿って来た県道708号線ではなく、 西へ向かいます |
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街中道なのですが、 センターラインの無いトコが多い |
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途中にはこんな石碑も有ります |
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センターラインの在った道が、 四辻で全部狭くなります これを直進するのです |
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この先行き止まり どこにも通じてません |
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道なりに進みます 周りは農地と森林です |
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林道(農道?)を進みます この林道は、明治地図と線形がほぼ一緒です 街道跡かと思います 左側の獣防止ネット プレサーチの時にはありませんでした 最近付けられたもよう |
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ネットはずっとあります 農地に上がる小道もあるのにどーすんでしょ (普通は潜れるようにとかするのですが) |
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ふと見るとこんな札が 通電されてるのかと一瞬焦りましたが、 ナイロンの網ですし、立ててる杭は金属(鉄筋棒) なんの意味があるざんしょ |
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林道は車止めで一旦終了 |
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しかしそこからも林道は続きます |
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コーナーのガードレール外にチャリデポ ここからはオフ装備の歩行モードです (只今変身中) |
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まだ林道を下って行きます |
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道の脇に何かの土台を発見 |
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プレサーチの時には気付きませんでした なんだろう・・・ 道からは上がった所にあります |
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林道もまもなく終了 ブレちゃってますね 暗いと辛い |
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農園到着 林道はここまでの為に整備されたようです |
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ここからは農園脇の道を行きます |
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どこが道か判らないって? ここですよここ |
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だいぶ進みました 目の前の道も藪が激しい・・・ 実は農園フェンスぎりをへつって来ました も少し藪が治まってるかと期待してたのですが、 元気いっぱいで困ったものです |
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足元の草を取り除くと硬い地面が! やはり道が続いてるのは間違いありません 幅1mは確実にあるようです |
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しかし目の前はご覧の通り こーなったら覚悟を決めるしかなさそうです |
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振り返って帰って来る事を誓おう と思ったのですがそこも藪 あ、インチキしたんだっけ・・・ 退路も断たれました(涙 |
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ずぼぼっ〜っと入ると、あっさり藪脱出 森林帯に入ったので、藪は収まってしまいました すんごく拍子抜け |
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道の脇には標柱が コレは秦野市のマーク |
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そして明らかに道 続いてます |
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倒木とかあるけれど、 1.2m程の幅の道が続いてます 間違いなく街道跡のようです |
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森林帯といえ、藪の進出はあります 元の幅が無ければ、 消失してしまったかも知れません |
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笹っぽいのが増えてきました 樹木帯を抜けます |
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周りは笹薮です 辛うじて道が通じてます 前方がイヤに明るいですが・・・ |
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前方には何かの線が走ってます 完全に広地なようです |
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鉄道です 架線の高さ位だから 線路まではちょっとあります 道はドコに行ってしまったのでしょうか |
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鉄道沿いに下る踏み道があります |
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線路の向こう側を見るも、道の影すらありません |
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線路沿いに下る道を降ります どぁ〜電車が来ました ロマンスカーです 鉄道は小田急線(勿論知ってましたが) |
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線路位の高さまで降りてきて、 道の続きを探しますが、いかんともしがたい その間にも脇を電車が通り過ぎて行きます |
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電車が来ないのを見計らって 線路脇の草地を進みます 電車との距離は取れるので危険は無いのですが、 こんなトコ線路脇を歩いてたら通報されかねない ん、前方鉄橋の手前に何かあるような・・・ |
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ちょいと進むと直ぐ左に何かある! 藪に入り込むと道祖神でした |
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馬頭観音碑です 大正9年ですから、小田急開通以前です 小田急線が開通したのは昭和2年 石碑が大正9年からここにあるのか、 小田急の工事でここに移されたのかは不明です 明らかに街道です。興奮度上昇! |
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周りを探ります |
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ん?ここなんか薄いような・・・ 突っ込むぞー! |
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ポンと広いトコへ出ました 振り向くとそこには不動明王像! 興奮度さらに上昇! |
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大山道とあります! 間違いなく、ここは矢倉沢往還です 興奮度は最高! この辺では、富士山に行く西行きが「ふじ道」、 大山に行く東行きが「大山道」と表記されるようです |
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像の前には標柱があります |
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沓掛(くつかけ)の湧水 沓掛はここの地名です 「秦野市菖蒲字沓掛」 ★ 当初、そう思ってたのだが、 川のこちらは「秦野市千村」だそうだ 昔この辺が「沓掛」という地名っぽい |
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この不動明王像は、矢倉沢往還の道案内でもあるのです 台座に掘られた文字 1 2 3 4 ★ 画像4−安永三(1774年)/念の為他所でも確認 |
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背中に妙なプレッシャーを感じてましたが 像の反対側、振り向くと廃屋があります 興奮度、別の方面にも上昇! 専門外なので近付きません |
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電車が来ないのを見計らって、 線路側から見てみると木々の間から見える 電車に乗ってても見えるかも知れませんね 普通、気付かないと思いますが |
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なんて言ってたら、また電車〜 新しい方のロマンスカーです ここでの探索は別の意味で慎重に |
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ここから川を渡る筈なのですが、 道の跡が判りません |
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川沿い方面は林です |
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諦めて、強引に川に出ます 川音川上流、四十八瀬川です |
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川沿いに土手になっています 土手上をちょいと下ってみましたが・・・ |
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土手上も藪化が酷い |
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森林帯に入り、川沿いを下ると 沢筋があり、石垣とかありましたが、 街道とは関係無いようです |
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沢筋から河原に降りてみました 上流側を見ています 右側が街道で降りてきた方面 橋があった筈なのですが、跡形も無い 護岸も昭和の時代のもののようです 上流に見える橋は小田急の鉄橋です |
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諦めて、鉄橋手前の踏切へ 先ほど、鉄橋手前に見えた何かはこの踏切です |
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「渋沢6号」 ここを探索する人の為に用意された・・・ ものではありません 恐らく先ほどの廃屋のためなんじゃないかと |
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踏切を越えると、川向こうにはラブホ 目の前は激しい藪で、足の入れようもありません 昔の航空写真で、ちょい上流に小さい橋が写ってます 県道(当時)〜橋〜踏切〜廃屋 と続いてたのかも知れません |
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ここからは川向こうの国道/県道をレポするのが 順当なのですが、 道が作られ何も残って無いのが実情です ここから松田神山までの現道レポは 意味が無いと思うので省きます ただ、松田神山までの間にある碑等を紹介しておきます |
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道祖神 地図にポイント 神山滝ホテル近くの県道沿い 小田急線側 |
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ふじ道石碑 地図にポイント 神山近くの惣領住宅街 街道はここら辺だったのだろうか |
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オマケ オフ装備解除。着替え中〜 対策は万全のつもりが、擦り刺し傷 あと、チクチクがチクチクする(意味不明な) |
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下りの写真では道の感じが判り辛いので、 登りの時の写真を追加 |
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これはブログで使った写真 |
街道は昭和2年の小田急工事で分断されたようです
人用踏切しか作られなかったのは、
その時に街道としての役目は終わった/終わっていた事を意味します
川沿いのルートは、国道・県道で失われています
ある意味、一番近いのは県道710号線ですが、
明治地図と現在の川の流れも変わっていて、トレースする事も困難です
故にマップ上も古ルートは記してません
藪は予想してたより対した事ありませんでした
電車さえ気付ければ、十分楽しめます
古街道として残っているのは20〜30m程に過ぎません
これ見て騙された〜とは言わないように
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古矢倉沢街道を行く
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